麻生の足跡

麻生塾

麻生の足跡−地域とともに−
麻生塾
 いまや、ほとんどの生徒が義務教育を終えると高校へ進む時代です。日本の高校進学率は、昭和49(1974)年度に90%を超え、平成19(2007)年度には97%を超えました。しかし、文部省(現文部科学省)が統計を取りはじめた昭和25(1950)年の高校進学率は42.5%に過ぎず、さらに都市部と農村部とのあいだには大きな格差もあったのです。

 炭鉱の町として栄えた筑豊も、昭和初期には、多くの優秀な人材が金銭的な理由で進学を諦めざるをえない、という状況に置かれていました。2代目・太賀吉は、炭鉱技術者の養成を目的として、昭和14(1939)年に少数定員、全寮制の「麻生塾」を設立します。少数精鋭の私塾「斯道塾」で太賀吉に教育を施した九州帝国大学工学部教授・河村幹雄博士の教育理念、「斯の道、斯の心(仁)を培うこと」を、そのまま建学の精神とした学校でした。
 入学対象者は高等小学校の卒業生で、修学年限は3年。塾生に負担をかけないよう、教科書はじめ就学に必要なもの、生活に必要なものはすべて支給したこともあって、県内外から志望者が殺到しました。しかも、炭鉱の隆盛期で人手不足だったにもかかわらず、塾の卒業後も麻生商店(当時)への就職の義務はありませんでした。卒業生の大半は麻生商店はじめ筑豊の炭鉱に就職しましたが、上級学校への進学も自由に認めていたため、文系の大学に進学して大学教授になった人もいます。

 戦後の学制改革のなかで、昭和23(1948)年、麻生塾は麻生塾工業高校に転換され、採鉱科、機械科、工業化学科が設けられました。しかし、高校への進学率がグングンと伸びる一方、石炭産業は徐々に衰退。建学の精神は維持されていたものの、筑豊の炭鉱がすべて閉山となったあとの昭和57(1982)年、使命を終えた麻生塾は廃校になりました。麻生塾が世に送り出した計555名の卒業生は、さまざまな分野で活躍しています。なお、昭和22(1947)年には炭鉱に暮らすこどもたちのための小学校も併設され、昭和47(1972)年に廃校となるまでに325名の卒業生を送り出してもいます。

 現在、麻生塾があった飯塚の地には、太賀吉の岳父吉田 茂氏の筆による塾の校訓「無私」の石碑と、太郎の岳父である鈴木善幸氏揮毛の「麻生塾発祥の地」の石碑が建てられています。また、「よき人間を育てる」という教育理念は、現在、福岡県下に12の専門学校を展開する学校法人麻生塾へと引き継がれているのです。
麻生塾跡地
住所:飯塚市柏の森11-4
見学自由

学校法人麻生塾
http://www.asojuku.ac.jp/