麻生の足跡

筑豊興業鉄道

麻生の足跡−地域とともに−
筑豊興業鉄道(後編)
 筑豊の炭鉱主たちが発起した筑豊興業鉄道ですが、炭鉱の数は多くともそれぞれの経営規模の小さい筑豊では、実際に出資できる炭鉱主はほんの数人しかいませんでした。実際、明治22(1889)年7月21日に免許が交付されたときには、資本の50%以上が堀田正養子爵を筆頭にした東京や大阪の有力者によって投じられています。
 そのような状況にあって、麻生太吉は会社の設立当初において全体の6番目、福岡県人としては2番目の株主となります。太吉はその後も取締役として経営に参画。筑豊炭田発展のために尽力しました。

 そして、筑豊興業鉄道は当時としては異例のスピードで事業を展開していきます。明治24(1891)年8月30日に若松から直方までが開業し、それから2年ののち、明治26(1893)年7月3日には若松−飯塚間が全線開通。その後も各区間が次々と開業して、明治末期には筑豊全体にわたる鉄道網をほぼ完成させています。
 太吉は、筑豊興業鉄道にとどまらず、筑豊の鉄道網のさらなる拡充を図っていきました。大正6(1917)年に現在のセメント事業の源となる九州産業を買収し、弓削田石灰工場を経営しはじめると、大正8(1919)年に九州産業鉄道を設立。筑豊横断鉄道の建設に乗り出します。中元寺川鉄橋の架設や入水トンネルの開削などの難工事を乗り越え、大正15年(1926)年7月には芳雄(現新飯塚)までの全線を開通させました。山陰本線の全線開通が筑豊興業鉄道の全線開通から40年経った昭和8(1933)年だったことを考えると、いかに早く筑豊に鉄道網が整備されたかがわかるのではないでしょうか。

 なお、増大する石炭の輸送を支えた筑豊興業鉄道は、明治28(1895)年に筑豊鉄道と改称、明治30(1897)年には九州鉄道と合併し、さらに10年後の明治40(1907)年には国有化されることになりました。しかし、経営母体が代わり、名称が変わっても、筑豊のすべての炭田が閉山を迎えるまで輸送を支え続けたことに変わりはありません。
 炭鉱がすべて閉鎖された現在では、運行されている列車に石炭輸送の面影を見ることはできません。しかし、勝盛公園に展示されているSLや直方市の石炭記念館には、しっかりとその歴史が刻まれ、後世に伝えられています。

※SLを除く写真資料は直方市石炭記念館所蔵
直方市石炭記念館
住所:福岡県直方市大字直方692-4
電話:0949-25-2243
開館時間:9時〜17時(入館受付は16時30分まで)
入館料:一般100円(60円)、大学生・高校生50円(30円)、中学生30円(20円)、小学生以下無料
※( )は20人以上の団体料金、また毎週土曜は中学生・高校生は入館無料
休館日:毎週月曜、第3日曜、祝日、年末年始(12月29日〜1月3日)
駐車場:4〜5台
http://www.nogata-navi.com/sekitan/