麻生泰のメッセージ

己に勝ってとにかくやる 2
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 飯塚を離れて大学まで一貫教育の慶応の小学校に入ってからは落第しない程度の勉強であったが、そこでは学校の強さというか教師陣の充実もあってこれでも素晴らしい出会いがあり多くの大切な友人を作れた。

 親のお陰で英国留学が許された。オックスフォード大学には慶応義塾を卒業した年1969年の秋から入学が出来た。大学時代はラグビー部の合宿所からの千駄ヶ谷の津田塾通いは一応して英語は勉強していたものの、最初の週に先生から渡されたいわゆるテュートリアルの論文テーマがJSミルの自由論がらみの題で、政治を希望したとはいえ、哲学も政治概論も全く身についていない私は、参考文献のミルやジョンロックの本は買って読んだがテーマに対する論文内容はあまりにお粗末であった事は言うまでも無い。仕上がったエッセーをチュートリアルの前の晩に見せてどう思うかと聞いた時の私の友人の顔と返事を聞いてお粗末さは想像が出来た。ライアン教授は暫く私のエッセーの中味を聞いた後、私に言ったことは”一学期は英語力を上げることに集中した方が良い”であった。

 ラグビーをしに来たのではないという事で毎日図書館や講義に通った。慣れぬ勉強ばかりでも頭がおかしくなると思って一学期の最後のほうでコレッヂのラグビーチームに参加し、早速にも友人が出来たりしての効果があった。

 二年目の冬休み中に交通事故をして長期の入院をした。卒業試験を受けずに帰国をすることも考えたが、母が見舞いに来てくれ看護を手伝ってくれる中で、卒業試験を受けることを私にヒントした。一年を延長しての挑戦となった。

 受験勉強というのをそれまで全く経験したことが無い私にとっての25歳にして初めての試験への傾向と対策の準備はかなりの難物。慶応の学生の要領のよさは持っていたがそれではとても。でも粘った。考えてみれば全く知らない教授の自宅を見つけ、その人のうちに夕方訪れて質問をして翌日教室で特別講義を聞いたり、半年間はかなりの努力をしていた。
 今、己に勝った感じがするのは、難関を通ってのことでやはり結果を出すことに大切さを感じる。私の学生時代の16年間では全く想像出来ない毎日の生活であった。

 帰国後大沢商会に入社したが、ここでもとにかくトップセールスになるのだという気構えを持ち二年間を当然のように頑張り、毎日を自転車で往復しその背中にはリュックサックをしょってのセールスマン活動であった。ここいらは今考えると目標に向けてのとにかくやるスタイルである。当時は、画家の山下清のイメージであったリュック姿を背広にネクタイを締めて山手線や新幹線に乗って営業をするというのは確かに珍しかったが、あまり恥ずかしく思わなかったのは中須イズムのお陰なのかもしれない。

2006.04.28

麻生 泰